スプーンの持ち方を笑う

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楽園の君

なんだかすべての物事にイライラしている。

 

現実もインターネットもムカつく連中ばかりいるし、世界も、社会も、自分を取り巻く環境も、自分自身にも、すべてにイライラする。

ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつく、何もかもすべてに。

そんな行き場のない怒りに苛まれ、今日も休みなのに職場に行かなければならないこの状況に気の赴くままにキーボードを叩いている。酒が足りねぇぜ。

 

怒りだ。

今思うに、僕が何よりも敬愛するthe cabsというバンド。

彼らの、主にソングライティングを手がけていた高橋國光という人の怒りが中心にあったバンドなのかなと思う。

 

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ふと思っただけだし、本人でも友人でもないので実際のところは知る由もないのだが。

「怒り」と「赦し」これが僕の中での彼らを象るキーワードだ。

 

当時から、なぜ僕は同い年の同姓が作る曲にどうしてこうも惹かれるのかと不思議に思っていた。

理屈ではなく好きだから好きなのだ!としたり顔で一人納得していた。

 

今になって、いや、今だからこそ思うのは、僕という個人がこの世界に漠然と抱いている劣等感や妬み嫉み、多くの負の感情を怒り、誰とでもなく赦しを請うことを代弁してくれているのだと、無意識に思い込んでいたし、今も思い込んでいる。

 

いやぁメンヘラって怖いですね。

しかし少なくとも今彼らの曲を聴いててもやはり、根底にネガティブなモノがあるのを感じるし、それがとても心地よく感じる。

 

自分の生活の一部ともなってたし、死ぬほど追いかけた(といっても遠征などはしなかったが)バンドは彼らが最初で最後とも言える。それ程惚れ込んでいたバンドが突如いなくなってしまった。

まぁその辺は好きな人は事情知ってるだろうし今ここでつらつら書くほどでもない。

 

ただ当時、その事実を某ライブで、いち早く知る場にたまたま居合わせ、事実だったとはいえ気を紛らわせるためかうっかりtwitterに書き込んだのは未だに後悔している。

ニャル子邦ロックbotなるクソみたいなアカウントに拾われて拡散されたのは未だに根に持っている。

他者の創作物の皮被っててめぇの意見言わせようとするやつは地獄の責め苦にあえばいい。寝る前と寝起き直後足の小指を家具の角に毎回強打すればいい。

 

それはさておき、そんな都合でいなくなったバンドのメインソングライターが戻ってきて、それがタイアップというのには当時とても驚いた。

本人のサウクラはずっとチェックしていて、やっぱり好きな曲を作るなぁと思っていた中で突然だったように記憶している。

Österreich

その名義でほぼほぼ残響界隈の人を迎えて作られた楽曲はあまりにも当時の空気と美しさをパッケージングしていて、はじめて聴いたときは呆然としてしまった。

(その前に残響コンピでこの名義だ曲提供したりはしてたんですけどね。

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ドラムの使い方とか一太さんそのまんまですよね。

この曲が世に出るきっかけとなった石田○イ氏には当時、表の場に彼を引っ張り出してくれたことには感謝したものの、なんかコメントとか見てイキってんじゃねぇぞ俺のほうがお前なんぞよりこのバンドを好きなんだと思ってしまって以来大嫌いな人物になってしまったし、元々好きで読んでた作品も見たくもなくなったのはまた別の話。僕に東京喰種の話はしないでほしい。

(妬みや嫉み以下のクソみたいな感情でにすらなりえない、唾棄すべき感情であることは言われなくても理解している。)

 

駄文長文の前ふりが長くなってしまったが、先日そのオストライヒのライブを見てきた。

凛として時雨 TK氏のソロライブのゲストとして出ていたのだ。

 

ライブがきまったときは本当に落ち着かなかったし、なんなら見たくない!と思ってしまったが、友人たちに尻を叩いてもらってなんとかチケットを確保した。

当日はというと、新木場に着いて動悸がして落ち着かなく、駅からCOASTまでの短い距離の間にビールロング缶を二本空けてしまう有様だった。楽しくてとかではなくシラフではいられないというネガティブな感情だった。

その上で開演前会場の喫煙所で、不愉快な大学生集団の会話にイライラしたり…などと一人で煮えきっていたらいつの間にか開場。

 

いざフロアに入ってみるとなんか前のほうがあいていたのでふらふらと進んでたら上手のだいぶ前にきてしまった。

始まるんだと思うと本当に落ち着かず、とっくに空っぽになってしまっているハイネケンの缶を何度も口に運んでしまっていた。

 

客電が落ち、前を見たら目の前に高橋國光本人がいた。そりゃそうだ。

cabsのときと変わらず彼は上手にいた。当時より動きは落ち着いていたとはいえ、独特な手の動きやクセは変わらなかった。

 

本人がステージの上に立っている。

 

そう認識した瞬間、涙が溢れて止まらなかった。

しっかり聴こう、見ようと思ってもよくわからない感情に支配され涙を止めることができなかった。

クソのように陳腐な表現だが、実際そうだったのだから表現のしようがない。

ライブが終わるまでの30分間ずっと泣きっぱなしだった。30過ぎた男が本当に気持ち悪いと我ながら思うのでみなまで言うな。

 

正直内容はあまり覚えていない。

ああ、鎌野さんと飯田さんツインヴォーカルの新曲はすごくよかったな。

終わってからもしばらくは「無能」のイントロの鍵盤の音がずっとリフレインしていた。

 

未だにあれがいいライブだったのかどうかは解らないけど、開催されなかった「楽園の君」で産まれてしまった自分の中の亡霊がいなくなったのだけは解る。

なんだか勝手に許されたような気持ちだった。別に誰も何も責めちゃいないんだけど、なんだかそんな気分だったんだ。

色々あって聴きたくなかったオストライヒの「楽園の君」も、あの日を境に聴けるようになった。

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記憶違いでなければ最後に歌詞を変更か追加していた。

同好の士の方々とも確認したので恐らく間違いはないはず。

 

大げさに言うと結局この世界は何かしらの地獄めいていて、別の地獄に逃げようとこの劣等感からくるイラだちからは逃れられない。

そう考えると本当に身投げしたのが楽なんじゃないかってぐらいにはうんざりする。

それでも赦されることを祈りながらいきることで、何かしらのか細い光を見上げることはできるんじゃないかと今ここまで書いていて思ったし、先日観たライブを思い出すとその光があったように思う。あれはとてもとても美しい光景だった。

 

本当に毎日イライラするけども、たまにハッとするような美しい光景を観れるのであれば、なんとか生活できると、彼の作品に触れるとそう思える。

 

イライラをキーボードにぶつけながらcabsとオストライヒを聴いていたら段々と落ち着いてきた。

その代わりになんだかポエムな締め方になってしまった。

酔っ払って書きなぐって、後日見返して凹むことばかりなので今回もそうでしょう。

 

他人には理解してもらえないであろう気持ち悪い感情の話し、ここまで長文乱文の駄文を読んだ物好きな方はお疲れ様でした。特に何もないですよ。

オストライヒ、聴いてね。