スプーンの持ち方を笑う

音楽、小説、漫画、アニメ、ゲーム、その他趣味について。

アイドルマスターシンデレラガールズの好きな曲 10曲について本気出して考えてみた。

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右下が塩見周子です。よろしくおねがいします。

いつでも同じ所にいきつくのさ。

すいません言うほど本気ではないかもしれない。

 

正直自分の思考をまとめるついでなので、プレゼンにもなりません。

が、シンデレラガールズを知らずにこのブログを見てしまった奇特な方がいたら、是非ともお耳を拝借。

公式であがっているものは試聴用音源貼りますので、どうぞよしなに。

 

 

アイドルマスター シンデレラガールズという作品。

作品やキャラクターに大いなる魅力はあれど、やはり語る上で外せないのは楽曲。

今では楽曲数は250曲近く。

個人的には、楽曲が好きでそこからキャラクターの魅力に触れて好きになっていく。

ということがひじょーーーーに多いです。

 

そしてその楽曲に携わるのは、今やDAOKOのバックDJも務め、バンドのサウンドプロデュース等にも携わるTaku Inoue、数多くのナムコ作品の音楽を手がけてきたAJURIKA(遠山明孝)や、ネットに多く触れてる方やアニメファンにはお馴染みであろうElements GardenMONACAIOSYSに所属する面々に加え、烏屋茶房睦月周平((K)noW_NAME)ヒゲドライバーなどなど…名前をあげていけばキリがない。

 

そしてバンドファンとしてはミト(クラムボン)、編曲だけの参加だが玉屋2060%(Wienners)の参加も見逃せない。名前みたとき二度見しましたね…。

 

そんな魅力的な楽曲製作者たちが作った曲の中から、自分の好きな曲を10曲しぼってみました。勿論、ここに書く意外にも好きな曲はあります。しかし曲数ほんと多いな…。

 

以下、自分のシンデレラガールズに触れたきっかけを書きますのですっとばしてください。

 

(隙自語)

きっかけは友人に誘われたグラブルをはじめる際「今ちょうどモバマスとコラボが始まって、モバマス進めると性能いいキャラもらえるからやれ。ついでにモバマス沼にも落ちろ。」と言われたことがきっかけでした。

確か初コラボのときだったので、2014年ぐらいでしょうか。え…そんな前…怖…。

 

もちろん「アイドルマスター」と「モバマス」自体は知ってたのですけど、大した知識も勿論なく。まぁそれで、はじめたわけです。

個人的に、ソシャゲとかでチュートリアル除いた初ガチャでひいたキャラに妙に愛着が沸くというのがありまして…モバマスで初めて引いたキャラが塩見周子でした。

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現世に顕現した宇迦之御魂大神かよ…(実際引いたのはクーリッシュピクシー)

ビジュアル、性格、口調、全てがドツボすぎてすぐに好きになりましたね…男女問わず、色素薄いビジュアルのキャラクターや、飄々とした感じのキャラクターに弱いんですけど、周子は両方兼ね備えている。その上知れば知るほどに俺だけを殺す兵器かよ!という気持ちになる。好き…。

余談ながらスターライトステージで初ガチャで出たSRはフレちゃんでした。この組み合わせは運命では?

 

そしてもう一人、楽曲については後ほど書きますが、ソロ曲を聴いて完全に脳髄ごと持ってかれたアイドルがこの人。

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知れば知るほどめちゃくちゃに振り回されたいし、俺が守護らねばという気持ちにもなる。

そう速水奏さんである。ちょっともういくらなんでも楽曲がまずよすぎるのに加え、コミュやらなにやらで知れば知るほど深みにはまっていく…。

今回はキャラについて書くのは控えるつもりなのでこの辺に。とりあえず上記二人が大好きです。

(隙自語ここまで)

 

ではここからは、自分の好きな10曲を。

 

1.Hotel Moonside

速水奏(CV:飯田友子)作詞・作曲:Taku Inoue

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選んだ楽曲に順位をつけるつもりは毛頭ありませんが、個人的にこの曲だけは別格で好きすぎるのです…。初めに紹介するべき曲、一曲だけ選べと言われたらこの曲を選びますね。

他のソロ曲も、それぞれのアイドルをイメージして作られてるので、歌詞などが合ってる。というのは前提としてあるんですが…。

 

この「Hotel Moonside」という楽曲は、曲としての強度が高すぎる。

元々イノタク氏の作る曲はどれもフューチャーベースと呼ばれるEDMの1ジャンルが下地にあり、そこに色んな要素が乗ってることが多いです。

この曲はフューチャーベースに加えて、Davit Guettaや、kascadeのようなプログレッシブハウスのような方向性になっている。クールかつ、いやみにならない程度に派手さもあり、あまりにも楽曲のバランスが取れすぎてる…と思う。

歌詞も何処か現実味のない世界観ながら、選ばれる言葉は「速水奏」という存在にピッタリと当てはまるものばかり。

現代的なサウンド+ミステリアルな歌詞とキャラクター。

こんなん聴いたら落ちるでしょうよ…それでキャラクターの中身を知っていけばいくほど、この曲の強度は増していくのです。

 

2.バベル

Dimension-3(一ノ瀬志希(CV:藍原ことみ)、(二宮飛鳥(CV:青木志貴))

作詞・作曲:ミフメイ

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PVすごい

※公式の試聴動画なし

 

ミフメイ氏が作詞作曲を手がけているこちら、EDMの中でもダブステップハードコアテクノに寄ったゴリッゴリにもほどがある一曲。

くせのある藍原さんの歌声と、志希くんのどことなく中性的な歌声が抜群に合う。

楽曲名の通りバベルの塔と、それに因んだ宗教的な言葉が並べられる。

どことなく「終末」と「壊れた」世界感のある中、希望を探すような歌詞がまぁ2人に似合うんですねこれが。めっちゃめちゃかっこいいので是非聴いていただきたい。

 

3.美に入り彩を穿つ

羽衣小町(小早川紗枝(CV:立花理香)、塩見周子(CV:ルゥ ティン))

作詞:野口圭 作曲・編曲:渡部チェル

www.youtube.com

和風×ロックというオタクにとってのカツカレーのような組み合わせ。

基本、和風テイストをいれた楽曲というのはダサくなりがちなのですが………

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ちなみに作詞の野口圭さんはバンド、SURFACEの作詞を手がける方です。(「さぁ」という曲で通じたあなたは同世代のオタク「さぁ」は椎名慶治作詞だった記憶)

流麗な言葉を乗せたメロディに、シンクロするギターと和楽器の組み合わせは御ン見事!の一言に尽きる。

アニソン×J-POP×歌謡曲といった成り立ちで耳なじみもいいのが特徴じゃないでしょうか。

 

4.Secret Daybreak

デア・アウローラ(速水奏(CV:飯田友子)、新田美波(CV:洲崎綾))

作詞・作曲・編曲:烏屋茶房

www.youtube.com

映画「スナイパーデスシャーク」の主題歌

聴いた時「聖歌かな?」

コミュを見た時「神話の成り立ちかな?」

ジャケを見た時「宗教画かな?」

感傷的な歌詞と、美しいピアノの音が特徴。初めて聴いた時あまりにも綺麗な曲でびっくりしましたね。

アコギ・ピアノ・ストリングス・ギターの輪郭がそれぞれハッキリしていて、2人の声と絡み合う感覚がなんともたまりません。ベースがまた気持ちいい曲ですね。

 

5.夏恋 -NATSU KOI-

塩見周子(CV:ルゥ ティン)、橘ありす(CV:佐藤亜美菜)、松永涼(CV:千菅春香

作詞・作曲・編曲:AJURIKA

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爽やかさともの悲しさが同居したメロディが特徴のトランスミュージック。

しっかりとした千菅さんの歌声から、ルゥティンさんと、佐藤さんと、段々と線が細くなってく三人の歌声のコントラストがはっきりした曲。

歌詞も…いいよね…そんな青春はなかった…。

 

6.O-Ku-Ri-Mo-No Sunday!

miroir(久川凪(CV:立花日菜)、久川颯(CV:長江里加))

作詞・作曲:烏屋茶房 作曲・編曲:篠崎あやと

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爽やかで軽快なメロディ。それを畳み掛けるようなリズム!本当に気持ちのいい楽曲。

何よりも歌詞!詳しく書くと長くなるので気になった方は見て欲しいのですが、とにかく言葉遊びが面白い!こういうのがちりばめられてると、気にしながら聴くのが楽しくなるんですよね。

時折入る2人の合いの手の、微妙にドライな感じがまた面白くて飽きない一曲です。

 

7.Radio Happy

大槻唯(CV:山下七海

作詞・作曲・編曲:Taku Inoue

www.youtube.com

すまない、またイノタク氏の曲なんだ。

一曲目に貼った「Hotel Moonside」と対になっているような楽曲。意識したのかな?

軽すぎず、重すぎず、絶妙なバランスで隙のない楽曲。

とことん陽性を突き詰めたようなEDMだというのにまったくいやみがない。陰気を詰め込んだ筆者ですら明るくなれるような曲。

ホテムンのように、キャラクターそのものを詰め込んだような作りになっている。

 

8.クレイジークレイジー

レイジー・レイジー一ノ瀬志希(CV:藍原ことみ)、宮本フレデリカ(CV:高野麻美))

作詞・作曲・編曲:Taku Inoue

www.youtube.com

申し訳ない、またイノタク氏の曲なんだ。

氏の持ち味であるフューチャーベースにおけるおしゃれさを、しきにゃんとフレちゃんの2人に乗せてぶちまけたバラード。

いや、なに…この…なに?一々選ばれる言葉のセンスが凄すぎる。楽曲として機能しすぎている上に、キャラクターへのイメージともしっかり合致する。

イノタク氏にはたまに恐怖すら覚える。

ブレス音や、イントロのレコード音のサンプリングなど、細かい演出がにくい。

 

9.さよならアンドロメダ

渋谷凛(CV:福原綾香)、森久保乃々(CV:高橋花林)、大和亜季(CV:村中知

作詞・作曲・編曲:Taku Inoue

www.youtube.com

許してくれ!イノタクのファンなんだ!!

氏の得意とするドラムンベース~フューチャーベースの魅力が一番でている曲ではないだろうか。

どこまでも切なく哀愁ただよう歌詞と曲調。

まるで透き通った冬空をイメージしたような世界観が落ち着く曲。

(これ収録されてるの「秋」をイメージしたミニアルバムなんですけど、アンドロメダ座が見れるのは11月後半らしいからまぁ多少はね?)

 

10.Fascinate

VelvetRose(黒崎ちとせ(CV:佐倉薫)、白雪千夜(CV:関口理咲)

作詞:ミズノゲンキ 作曲・編曲:睦月周平

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公式試聴動画なしってないぞ……ネオサイタマいい加減にしろよ……

※公式試聴動画なし

新キャラ発表された当時から、ビジュアルも好きだし、キャラも好きだなぁ。なんて思ってたのですが曲聴いてもうダメでした。この曲はやばすぎる。

ダーク・ファンタジー調の世界観とゴシック・メタル的なサウンド作り。

そして主従の裏から見える共依存とも取れるような言葉の数々がまた耽美な作りとなっていて…耽美系のV系も好きな自分としては本当にたまらない作りになってるんです。

 

歌詞カードをこれでもかと読みながら頭かきむしりながら考察を繰り返してます。

あんまキャラのこと書かないと書いておいてなんですが、この2人の特異な関係性は是非ともイベントコミュを見て欲しいなって…思うんですよね…。

 

最後の最後が試聴動画なしとなんとも締まらない感じになってしまいましたが、最初と最後に紹介するのだけは順番決めてたのでご愛嬌。

 

あと、アニソン・ゲーソン周りにおけるフューチャーベースの扱いに関して解説してる方のnoteを見つけたので、EDMに興味ある方はこちらも是非。ためになるしすげー面白いです。

note.com

 

最後になりましたが、ボイス総選挙は皆様誰に投票してるのでしょうか。

声がつけばまた魅力のある楽曲が生まれる。それが楽しみでなりません。

個人的に声のついて欲しいキャラがいっぱいいるので悩んでますね…マキノさん、のあさん、伊吹ちゃん、るーみん、あいさん…うーん…。。

笑う才能 生きる才能 映画「JOKER」を観て。

僕の姿が見えますか?

誰か僕を見つけてくれ

 

居場所なんて何処にも無い。

もう笑うしかないけれど、

笑う才能が無いから、

顔が醜く歪むだけ。

THE BACK HORN 「ジョーカー」より

 

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先日映画、JOKERを観てきた。

凄まじい映画だった。日にちがたった今でも考えが纏まらない。

でも思うことは多くて、アルコールをひっかけながらキーボードを叩かずにはいられない。

ネタバレというか観たこと前提で色々感想。

わざわざこれを読んでる物好きな方はご注意を。

 

酔っているのもあった非常に文章がとっ散らかると思うので、最初に一つ。

 

行き場の無い劣等感に苛まされている人、

訳も無く苛立ちを、怒りを覚えている人、

社会的に見て自分を弱者だと思ってしまっている人、

 

それでも、生きようと思っている人。

 

そんな人の心を容赦なく抉ってくる映画だ。

 

 

映画「JOKER」それは、笑う才能も生きる才能もなく、

軽やかなステップで騙し騙し生きて行くことができなかった男の話。

真っ暗な明日を一身に受けてしまった男の話。

そして、最後の最後にニヤリと笑ってみせた男の話。

 

如何にして“ジョーカー”はこの世に生れ落ちてしまったのか、なぜあのメイクなのかという話。

 

彼、アーサー・フレックの半生は嗚咽する程に辛くて、自分はそうじゃなくてよかったと安堵する。その一方で、ジョーカーとして覚醒した彼の行いを、狂乱と狂騒を巻き起こす彼に対して少なからず羨望の念を抱かずにはいられなかった。

 

ひたすらに辛くて怖くて、終幕、完全に狂気に陥った主人公アーサー・フレックことジョーカーの姿に、これはハッピーエンドだ!と思わずにはいられなかった。

 

ひたすらに陰鬱な空気と、アーサーの感情の起伏は本当に怖かった。

観てる間THE BACK HORNのジョーカーが頭の中で延々と鳴り響いていた。

ja-jp.facebook.com

アーサーはずっと言っていた。狂ってるのは僕か?世間か?僕は存在しない、誰も自分を見ていない、僕が路傍で死のうがお前らは踏んで通るだろうと。

頭の中で山田将司の「居場所なんて何処にも無い」という叫びと、あまりにも生々しいむき出しの感情が異常にシンクロしていた。

 

社会に遺棄され、放棄され、虐げられた彼の生き様を主観で追って行った。

その彼が気付き、吹っ切れ、生まれ変わり、恩讐の彼方へと向かう姿を観て「いいぞ、やっちまえ、やっちまえ」と思わずにはいられなかった。呆然としつつも、それこそ道化の仮面を見につけたような気持ちで笑わずにはいられなかった!

 

虚構と現実が曖昧な世界に浮かぶアーサー・フレックという人物。

自分が生み出した狂騒を護送車の中で眺め「美しいだろう?」と笑うジョーカー。

ああもう、まるでこの楽曲のようではないか。

 

www.youtube.com

ジョーカーは、掻っ攫っていった。

 

誰しもがジョーカーになれる。なって煙をあげて薪をくべることができる。

そしてきっと、一人でも、大げさな物言いだが自身にとって救いとなる人がいれば、ジョーカーにならなくて済む。

 

だが、だが、それ以上に今のこの社会は、世間は、ジョーカーを作り出す、生み出す社会だ。

 

古い価値観、こうであることが幸福だ、こうである人間が正常なのだと。そうやって社会は形成されいてるのだと。

そうじゃない人間は異常だ。危険だ。社会に属するべきではない。排斥すべきだと。

 

クソッたれだ。それで笑顔を強制する世の中など掃き溜め以下でしかない。

嗚呼!だからこそ憧れてしまう。自分では絶対に出来ない、理性が強烈にかけているブレーキを当然のように外して思うが侭に振舞うジョーカーに、価値観を全て放り出して踏みにじるジョーカーに。

 

勿論アーサーがジョーカーに至るまでのあまりにも痛ましい境遇と、自分が遠いところにいるからこそそう思えるのだろう。

だけでもどうにも胸の中で燻ってしまう。眩しく見えてしまう。

 

作中では貧富の差や、病による差別などが多く描かれていた。

主人公アーサーがジョーカーに成ってしまった原因としてもこれらが多分にかかわっている。

ただそれでも、事件を起こしたジョーカーは繰り返し言っていた。「政治的意図なんてない。」

 

そう、きっと映画を創った人たちも問題提起する気も、政治的意図なんてないんだと思う。

“彼”の半生を丁寧に描いた結果そうなったんだ。

 

そして“彼”の言うとおり人生は主観だ。結局は個人の問題なんだ。

それに気付いた彼は人間として再生できた。

 

それが他者にとって悪夢であろうと、彼個人は救われた。

 

まだ筆者は彼のように吹っ切れることができない。

ただどうか願わくば、彼のように(彼にとってそれが辛い過去を想起させることであったとしても)人目を憚らず声をあげて笑えるようになりたい。

 

だって、人生は喜劇なのだから。

 

書いてみて思ったけど、どうしても終盤の話ばかり書いてしまう。

それほどまでにカタルシスがすごい作品だった。

 

そこにいたるまでが本当に辛くて、辛くて。

ホアキン・フェニックスの演技と、観てる方にも何処までがアーサーの妄想かが解らない演出で(一部妄想と気付くとこもある。ただ、それ以外の全ても妄想だという考察がある。)心臓を捕まれるような圧迫感から開放された感覚が本当にすごい映画。

 

そして時代を映す意味合いもあったのだろうけど、アーサーがヘヴィスモーカーのチェーンスモーカーで。これには何かしら意味があるのかな~と思いましたね。全然考えが浮かばないけど。

あまりにも鮮烈で衝撃的で、ただただ呆然と観てしまったので、フラットな状態でまた観にいきたい。

 

最後に、著名人のコメントの中で一番個人的にぐっときたフリーライターの、マフィア梶田氏のコメントを貼って終わりたいと思います。

駄文長文乱文、読んでしまった方、お疲れ様でした。

 

 

 

楽園の君

なんだかすべての物事にイライラしている。

 

現実もインターネットもムカつく連中ばかりいるし、世界も、社会も、自分を取り巻く環境も、自分自身にも、すべてにイライラする。

ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつく、何もかもすべてに。

そんな行き場のない怒りに苛まれ、今日も休みなのに職場に行かなければならないこの状況に気の赴くままにキーボードを叩いている。酒が足りねぇぜ。

 

怒りだ。

今思うに、僕が何よりも敬愛するthe cabsというバンド。

彼らの、主にソングライティングを手がけていた高橋國光という人の怒りが中心にあったバンドなのかなと思う。

 

www.youtube.com


 

ふと思っただけだし、本人でも友人でもないので実際のところは知る由もないのだが。

「怒り」と「赦し」これが僕の中での彼らを象るキーワードだ。

 

当時から、なぜ僕は同い年の同姓が作る曲にどうしてこうも惹かれるのかと不思議に思っていた。

理屈ではなく好きだから好きなのだ!としたり顔で一人納得していた。

 

今になって、いや、今だからこそ思うのは、僕という個人がこの世界に漠然と抱いている劣等感や妬み嫉み、多くの負の感情を怒り、誰とでもなく赦しを請うことを代弁してくれているのだと、無意識に思い込んでいたし、今も思い込んでいる。

 

いやぁメンヘラって怖いですね。

しかし少なくとも今彼らの曲を聴いててもやはり、根底にネガティブなモノがあるのを感じるし、それがとても心地よく感じる。

 

自分の生活の一部ともなってたし、死ぬほど追いかけた(といっても遠征などはしなかったが)バンドは彼らが最初で最後とも言える。それ程惚れ込んでいたバンドが突如いなくなってしまった。

まぁその辺は好きな人は事情知ってるだろうし今ここでつらつら書くほどでもない。

 

ただ当時、その事実を某ライブで、いち早く知る場にたまたま居合わせ、事実だったとはいえ気を紛らわせるためかうっかりtwitterに書き込んだのは未だに後悔している。

ニャル子邦ロックbotなるクソみたいなアカウントに拾われて拡散されたのは未だに根に持っている。

他者の創作物の皮被っててめぇの意見言わせようとするやつは地獄の責め苦にあえばいい。寝る前と寝起き直後足の小指を家具の角に毎回強打すればいい。

 

それはさておき、そんな都合でいなくなったバンドのメインソングライターが戻ってきて、それがタイアップというのには当時とても驚いた。

本人のサウクラはずっとチェックしていて、やっぱり好きな曲を作るなぁと思っていた中で突然だったように記憶している。

Österreich

その名義でほぼほぼ残響界隈の人を迎えて作られた楽曲はあまりにも当時の空気と美しさをパッケージングしていて、はじめて聴いたときは呆然としてしまった。

(その前に残響コンピでこの名義だ曲提供したりはしてたんですけどね。

www.youtube.com

ドラムの使い方とか一太さんそのまんまですよね。

この曲が世に出るきっかけとなった石田○イ氏には当時、表の場に彼を引っ張り出してくれたことには感謝したものの、なんかコメントとか見てイキってんじゃねぇぞ俺のほうがお前なんぞよりこのバンドを好きなんだと思ってしまって以来大嫌いな人物になってしまったし、元々好きで読んでた作品も見たくもなくなったのはまた別の話。僕に東京喰種の話はしないでほしい。

(妬みや嫉み以下のクソみたいな感情でにすらなりえない、唾棄すべき感情であることは言われなくても理解している。)

 

駄文長文の前ふりが長くなってしまったが、先日そのオストライヒのライブを見てきた。

凛として時雨 TK氏のソロライブのゲストとして出ていたのだ。

 

ライブがきまったときは本当に落ち着かなかったし、なんなら見たくない!と思ってしまったが、友人たちに尻を叩いてもらってなんとかチケットを確保した。

当日はというと、新木場に着いて動悸がして落ち着かなく、駅からCOASTまでの短い距離の間にビールロング缶を二本空けてしまう有様だった。楽しくてとかではなくシラフではいられないというネガティブな感情だった。

その上で開演前会場の喫煙所で、不愉快な大学生集団の会話にイライラしたり…などと一人で煮えきっていたらいつの間にか開場。

 

いざフロアに入ってみるとなんか前のほうがあいていたのでふらふらと進んでたら上手のだいぶ前にきてしまった。

始まるんだと思うと本当に落ち着かず、とっくに空っぽになってしまっているハイネケンの缶を何度も口に運んでしまっていた。

 

客電が落ち、前を見たら目の前に高橋國光本人がいた。そりゃそうだ。

cabsのときと変わらず彼は上手にいた。当時より動きは落ち着いていたとはいえ、独特な手の動きやクセは変わらなかった。

 

本人がステージの上に立っている。

 

そう認識した瞬間、涙が溢れて止まらなかった。

しっかり聴こう、見ようと思ってもよくわからない感情に支配され涙を止めることができなかった。

クソのように陳腐な表現だが、実際そうだったのだから表現のしようがない。

ライブが終わるまでの30分間ずっと泣きっぱなしだった。30過ぎた男が本当に気持ち悪いと我ながら思うのでみなまで言うな。

 

正直内容はあまり覚えていない。

ああ、鎌野さんと飯田さんツインヴォーカルの新曲はすごくよかったな。

終わってからもしばらくは「無能」のイントロの鍵盤の音がずっとリフレインしていた。

 

未だにあれがいいライブだったのかどうかは解らないけど、開催されなかった「楽園の君」で産まれてしまった自分の中の亡霊がいなくなったのだけは解る。

なんだか勝手に許されたような気持ちだった。別に誰も何も責めちゃいないんだけど、なんだかそんな気分だったんだ。

色々あって聴きたくなかったオストライヒの「楽園の君」も、あの日を境に聴けるようになった。

www.youtube.com


記憶違いでなければ最後に歌詞を変更か追加していた。

同好の士の方々とも確認したので恐らく間違いはないはず。

 

大げさに言うと結局この世界は何かしらの地獄めいていて、別の地獄に逃げようとこの劣等感からくるイラだちからは逃れられない。

そう考えると本当に身投げしたのが楽なんじゃないかってぐらいにはうんざりする。

それでも赦されることを祈りながらいきることで、何かしらのか細い光を見上げることはできるんじゃないかと今ここまで書いていて思ったし、先日観たライブを思い出すとその光があったように思う。あれはとてもとても美しい光景だった。

 

本当に毎日イライラするけども、たまにハッとするような美しい光景を観れるのであれば、なんとか生活できると、彼の作品に触れるとそう思える。

 

イライラをキーボードにぶつけながらcabsとオストライヒを聴いていたら段々と落ち着いてきた。

その代わりになんだかポエムな締め方になってしまった。

酔っ払って書きなぐって、後日見返して凹むことばかりなので今回もそうでしょう。

 

他人には理解してもらえないであろう気持ち悪い感情の話し、ここまで長文乱文の駄文を読んだ物好きな方はお疲れ様でした。特に何もないですよ。

オストライヒ、聴いてね。

The Show Must Go On 少女達の再生産の物語「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」

ネタバレ、この記事にはあんまないかと思いますが、

これから視ようと思ってるかたは一応自己責任ということで。

 

お持ちなさい あなたの望んだその星を

『スタァ』――それは舞台の中心、「ポジション・ゼロ」に煌めく光。
心を震わせる歌声で、躰が動きだす踊りで、
魂を揺さぶる演技で観る者を魅了する、舞台に咲き誇る花。

(公式より引用)

 

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ここまで、心の底から美しく、愛おしいと思える作品に出会えたのはどれぐらいぶりだろうか。

筆者は、ライブを観にいくのが好きで、近年は舞台を観ることの楽しさも知った。

アニメが好きで、映画が好きで、小説が好きで、ゲームが好きで、物語が好きだ。

 

そんな、いきものとしてのライブや舞台。煌きを紡ぐものとしての物語。

それらを五感を使って楽しむことの喜び、嬉しさ、感動を、改めて教えてくれるような作品。

それが、筆者にとっての「少女☆歌劇 レヴュースタァライト

 

 

この作品は「アタシ再生産」という言葉が表す通り、9人の舞台少女たちが持つ、自分の覚悟、想い、約束を思い出し、そして、再生産していく物語。

その少女達が放つ苦悩、葛藤、煌きがどうにも心をささくれ立たせ、魅了し、感動を産む。ぼっろぼろ泣きながら観てしまいました。

 

以前何かで舞台に剣が刺さっているキービジュとタイトルを観たとき「なんかイクニ作品っぽい!めっちゃ気になる!」と思っていたのだけど、情報が公開されていくにつれ「ブシロード」という文字とキャラデザなどを見て「あぁ、よくある量産型萌えアニメね…。」と思ってしまい完全にスルーしてました。

ところが信頼している友人たちから、いやいや面白いぞ。絶対好きになるはずだ。と言われ、観たらこれがまぁ…ごらんの有様です。

 

最初一話を観たときの印象としては「幾原監督作品へのリスペクトが強い作品。」でした。

寺山修司へ強い影響を受け、舞台の演出をそのままアニメへ取り入れ、抜群のケレン味塗れのイクニ作品。

少女革命ウテナ」「輪るピングドラム」「ユリ熊嵐」…もちろん筆者も大好きです。

これらからケレン味や毒を抜き、王道要素をいれた作品なんだな。なんて思って観てました。

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少女革命ウテナ

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輪るピングドラム

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ユリ熊嵐

 

でも、違った。

まったく別のものでした。確かに「アタシ再生産」のシーンや謎のキリン(CV:津田健次郎 意味不明ですか?わかります。)などなど、多分に影響を受けてるのはきっとあるはず。

でも、そうじゃなく、ただの芸術作品でも、美少女ものでもなく「レヴュースタァライト」として成り立っている。

 

それがなんでかは正直わかんないっすね。

なんでかわからないけど、視ていると何故か涙があふれてくる。

後半はもう何度視てもぼろぼろぼろぼろ泣いてしまう。

 

きっとそれは苦悩や葛藤を覚悟を持って乗り越え、再生産していく少女達の煌きがあまりにも眩しいから。

自分がステージの上や作品の中に持つ憧憬を表現として提示されたから。

多分、そうなんだろうと思います。

 

本当に、本当に美しい作品なのです。

語弊を恐れずに言うと、これは少女達だからこそ成り立った作品なのだなと思う。

 

これが少年たちだと、きっと力強さ、泥臭さが先立ち、別の感動を産む作品になっていた。

少女たちだからこそ、儚さと美しさが際立ったんだろうなと。

 

さて前置きが長くなりましたが、この作品を語るからには登場するメインの舞台少女9人に触れなければ始まらない。

が、長くなりましたので、時間をみつけまた記事にしようと思います。

もう全員大好きです。(個人的にはひかりちゃんとばなながとりわけ好き。エモい。)

 

ここまで記事を読んでくれた方へと、伝えたいのは、いきものとしてのライブや舞台、そして物語が好きな人。そんな人には何かしら心に刺さるものが必ずある作品です。

 

 

最後に、余談ですが言わば舞台の主役。トップスタァを目指し、求め、奪い合うバトルロイヤル物の側面もある作品なのですが、基本的に日常では全員和気藹々と過ごしている。

普通の作品ならギスギスしてしかるべし、なのですが…。

 

下記は完全に妄想になりますのでご了承ください。

 

一話の華恋が言っていた通り「仲間でライバル」だからこそ、あの空気ができているのかな、と。

勿論、トップを、主役を目指すのでそこは譲れない。

でも、ポジションキャラクターも、端役も、アンサンブルも、全てが良くなければ良い舞台にならない。

舞台少女たちはそれを知ってるからこそ仲間たちを尊重し、切磋琢磨しあう仲として、舞台…「レヴュー」の上で感情をぶつけあうのかな~と、ぼんやり思いました。

 

(実際のとこギスギスしてちゃ作品コンセプトとしてもまずいとかそんな感じな気もしますが。笑)

 

後日キャラクターの記事へと続きます。

この作品は、星に手が、届きます。

TRUMPシリーズ 10th ANNIVERSARY ミュージカル『マリーゴールド』

※この記事は表題作品及びTRUMPシリーズの過分なネタバレを含みます。

 

 

 

 

Twitterに書こうと思ったのですが長くなりそうだったので勢いでブログ開設しました。

 

というわけで観てきました、ミュージカル「マリーゴールド

まぁしかし田村さんがめっちゃくちゃ歌うまくなってた気がしてびびった。

正直舞台やらミュージカルに関してはド素人なので本当に好きな人から見てどうなのかは解らないけど、壮さん愛加さんという宝塚トップやってた人たちと遜色ないぐらいこちらの感情を揺さぶる歌でしたね…。

 

そして東さんがかっこよかったんだなぁ~東さんもめっちゃ歌うまいんですね…。

グランギニョルで春林さんが好きすぎるのもあったけど普通に東さんのファンですねもう。

 

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退廃的でいいキービジュっすよね…。

「なぜ人は“悲劇”に魅了されるのか。」

その言葉通り、基本的にハッピーエンド好きな自分、もしくはせいぜいもやっとする終わり方する作品が好きな自分がここまでこのTRUMPシリーズが好きになってしまったのか。

 

それはやっぱり演出・脚本の末満さんの魅力でもあるのだろうなと思う。

「永遠の命」という命題。人間、吸血種、そしてその混血であるダンピール。

種族の対立・共存、混血種への不理解・差別。

 

古今東西、伝奇物やファンタジーで使い古されているテーマ。

それを徹底した耽美で退廃的な世界観の構築、そして伏線を10年以上にもかけて張り続け、回収して、また張っていくシナリオ。(もちろんその間に変更されたり付け足したりもあるのだろうけど)そしてシリーズ内でリフレインする言葉の数々に魅了された。

まぁぐだぐだ書いたけど要は自分のツボにガッシリとハマってしまったわけですね。

なんて深い沼なんだこいつは。

 

さて感想。作中用語はこんな記事好き好んで読む方は解ってると思いますので割愛します。

時系列的には

スペクター

グランギニョル

TRUMP

(2800年後)

マリーゴールド

リリウム

なんですかね。さて簡潔に感想を述べるとなると、最大限の感謝と親愛を込めて

「末満許さねぇ。」という一言につきますね…。

 

もうシリーズ通してのファン、とりわけリリウムが特別好きな人を念入りに死に追いやるような作品でしたね。

 

冒頭、とあるクランから逃げ出してきたという繭期の少年の尋問からはじまる。

 

彼の名はヤン・フラ………え?フラ?とまーーーシリーズファンとして馴染みのある名前からはじまるわけですよ。吸血種の中のものすごい貴族のフラ家。

 

話はそれるけど今こう思うとちょっと気になる。

グランギニョルの時代でのフラ家当主ゲルハルト。

彼は不能だった為、マルコに妻を身篭らせた。そしてその結果生まれたアンジェリコもTRUMPで死んでしまった。

つまりここでフラ家は断絶したと思われるのだけど…名前が同じってだけなのかなぁ。でも末満さんがそんなことするのだろうか。それとも分家があった、とかなのかな。気になるところ。

 

さてそんなこんなで心がざわついてたら、すぐに更にざわつくことに。

彼の口から語られる、逃げ出してきた異常なクラン。監視役のティーチャーも、下働きの大人もいない…唯一いたのは“お館様”と呼ばれる者ただ一人。

 

あっ…(察し)

 

元々いたクランから攫われてきたヤン。一緒に攫われてきた少女がいたという。

その少女の名は「シルベチカ」

 

あっ…(察し)

 

シルベチカなんて…知ってるんだよなぁ…。

そして彼を保護したのは原初信仰者たち。口封じに殺されかけるが結局イニシアチブをとったヤンがその連中を皆殺しにして発狂しながら逃走。

 

そして舞台は作中での現代へ…まぁーこっからもシリーズファンを殺しにくる。

主人公の一人アナベルは小説家。吸血種・繭期の少年少女の失踪事件を元にした作品で大人気。そのペンネームは…“ダリ・デリコ”

 

んもぉーそういうことする~。めっちゃ貴族のダリちゃん。

そして役柄もキャラクターもまったく違うのは頭で理解しつつそのめっちゃ貴族でめっちゃすごくてめっちゃえらいダリちゃんが主役のグランギニョルにも出演されてたポジティブダンピール東さんの口から“ダリ・デリコ”とか「忌まわしきダンピール」とか言わすのどうなんですか末満さん!!!!!!

 

とここまでから解るとおりやたらめったら関連性をだしてくるのがこのシリーズの特徴。関係性フェチとでもいうべき自分にはたまらない作品群なのです。

TRUMPから作品が新規のものになるにつれてギャグ要素がほぼほぼなくなってますね。

 

今回もあるにはあったけど、それをやってたのが「ソフィ」と「ウル」でシリーズを知っている者として、そしてきっとソフィは、このウルと名乗る青年は…と思うと笑えなかった…。

 

以下、個人的にやばかったポイント。

 

ソフィの、懐かしむような口調での「ダリちゃん」

 

明るい曲調の歌で花言葉を歌うヘンルーダさん「リリィ」「スノウドロップ」「紫蘭」「竜胆」…。

 

「そう、ウルは僕の親友“だった”」

 

「永遠なんて、クソ食らえだ」

 

ウルが歌うTRUMPで披露された歌

 

劇中で何度も流れるリリウムでの楽曲

 

などなど枚挙に暇がないので…もう全編やばい要素しかないですね。

どうしてもシリーズ追ってるので作品単体で見れない節がありますね。というかそれこそ末満さんの思う壺なんでしょうけど…。

 

アナベルとガーベラの歪な共依存。歪んだ愛をアナベルに向けるコリウスとエリカ。

何もすることができない、何をすることも許されないヘンドール。

そして永遠の孤独を生きる中“まがい物(False)”のTRUMPとして精神が磨耗し、狂ってしまったソフィ。(今回手を伸ばしたのはお前だったかよ…)

 

アナベルがガーベラ、ヘンドール、エリカにそれぞれ向ける愛情、そしてガーベラ、ヘンドール、エリカがアナベルに向ける愛情は歪んでいても間違いなく本物だった。

けれど登場人物全員不器用で、それぞれの愛情を押し付けてしまった。

 

そこに「永遠の命」という甘い蜜を見つけてしまったアナベル

…TRUMPシリーズは「永遠の命」に翻弄される人々の複雑に入り混じった感情を描いた作品だと思っていて、そして明言こそはしてないものの「永遠の命」そして「永遠であること」そのものに否定的な作品だと思っている。

 

様々な理由で人々は永遠を求め、そして狂い、血に染まっていく。

それは今回も同じだった。

 

街で惨劇が起こったときのソフィの笑顔は本当にゾッとした。

上記で狂ってしまったと書いたけど、ソフィは狂ったのではなくて人間でも吸血種でもダンピールでもない何かに“成ってしまった”んだろうなと。

 

正直、今作はシリーズ追ってる人から見ればある程度話の展開は予測できたのではないだろうか。シリーズのベタをしっかり踏襲していた気がする。きっとこの人はこうで、あの人はああだなと。

でも予測できたとしても降ってくる想像以上の絶望の数々にはただただ打ちひしがれるしかなかった。それがTRUMPシリーズのすごいところなんだなぁ…。

 

作中最後まで親子の愛はあった。イニシアチブに意識を持って抵抗するほどに。

だからこそガーベラは最後、母親が死んだときに希望を捨てた。希望は母親と共にあってこそだったから。そして代わりに絶望という呪いを背負って生きることを決めた。

そのあとの彼女の運命は、シリーズファンは知ってのとおり。

 

グランギニョルで未来予知の能力があるオズがキキを予知したときの「マリーゴールドの花に囲まれてる君が見える。」

って希望を感じたシーンだったけどまったく持ってそんなことはなかったですね!つれぇわ。よく考えなくてもリリウム考えたらそんなことないシーンなんだよな…つれぇわ。

 

トランプ、ソフィ、ガーベラ、そしてきっとリリィ

共通してるのは大切な人への想いを持ち続けて忘れることができず苦しんだこと。

「僕は君で、君は僕だ。」「あなたも私と同じね。かわいそうな人。」

 

ガーベラはともかく他三人は自らの死を望んでも死ねず、

永遠の時の中孤独に苛まされる。

 

そしてその孤独の中、自分が愛した者は永遠を望まない者だった。

トランプがソフィを、ソフィがリリィを。

愛した者に永遠を与え、愛した者に憎まれる連鎖。

そしてきっとリリィも誰かを…。

 

一片の希望もない絶望の連鎖。つれぇわ。って言葉しかでませんね。

まったくまとまってない上に冗長な感想ですが、もう眠いし自分の中でも感情がぐっちゃぐちゃで纏まってないので推敲しません…。

うんまぁ、一言で纏めるとすると、悪い。やっぱつれぇわ。

 

 

知ってる?マリーゴールド花言葉─────