スプーンの持ち方を笑う

音楽、小説、漫画、アニメ、ゲーム、その他趣味について。

笑う才能 生きる才能 映画「JOKER」を観て。

僕の姿が見えますか?

誰か僕を見つけてくれ

 

居場所なんて何処にも無い。

もう笑うしかないけれど、

笑う才能が無いから、

顔が醜く歪むだけ。

THE BACK HORN 「ジョーカー」より

 

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先日映画、JOKERを観てきた。

凄まじい映画だった。日にちがたった今でも考えが纏まらない。

でも思うことは多くて、アルコールをひっかけながらキーボードを叩かずにはいられない。

ネタバレというか観たこと前提で色々感想。

わざわざこれを読んでる物好きな方はご注意を。

 

酔っているのもあった非常に文章がとっ散らかると思うので、最初に一つ。

 

行き場の無い劣等感に苛まされている人、

訳も無く苛立ちを、怒りを覚えている人、

社会的に見て自分を弱者だと思ってしまっている人、

 

それでも、生きようと思っている人。

 

そんな人の心を容赦なく抉ってくる映画だ。

 

 

映画「JOKER」それは、笑う才能も生きる才能もなく、

軽やかなステップで騙し騙し生きて行くことができなかった男の話。

真っ暗な明日を一身に受けてしまった男の話。

そして、最後の最後にニヤリと笑ってみせた男の話。

 

如何にして“ジョーカー”はこの世に生れ落ちてしまったのか、なぜあのメイクなのかという話。

 

彼、アーサー・フレックの半生は嗚咽する程に辛くて、自分はそうじゃなくてよかったと安堵する。その一方で、ジョーカーとして覚醒した彼の行いを、狂乱と狂騒を巻き起こす彼に対して少なからず羨望の念を抱かずにはいられなかった。

 

ひたすらに辛くて怖くて、終幕、完全に狂気に陥った主人公アーサー・フレックことジョーカーの姿に、これはハッピーエンドだ!と思わずにはいられなかった。

 

ひたすらに陰鬱な空気と、アーサーの感情の起伏は本当に怖かった。

観てる間THE BACK HORNのジョーカーが頭の中で延々と鳴り響いていた。

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アーサーはずっと言っていた。狂ってるのは僕か?世間か?僕は存在しない、誰も自分を見ていない、僕が路傍で死のうがお前らは踏んで通るだろうと。

頭の中で山田将司の「居場所なんて何処にも無い」という叫びと、あまりにも生々しいむき出しの感情が異常にシンクロしていた。

 

社会に遺棄され、放棄され、虐げられた彼の生き様を主観で追って行った。

その彼が気付き、吹っ切れ、生まれ変わり、恩讐の彼方へと向かう姿を観て「いいぞ、やっちまえ、やっちまえ」と思わずにはいられなかった。呆然としつつも、それこそ道化の仮面を見につけたような気持ちで笑わずにはいられなかった!

 

虚構と現実が曖昧な世界に浮かぶアーサー・フレックという人物。

自分が生み出した狂騒を護送車の中で眺め「美しいだろう?」と笑うジョーカー。

ああもう、まるでこの楽曲のようではないか。

 

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ジョーカーは、掻っ攫っていった。

 

誰しもがジョーカーになれる。なって煙をあげて薪をくべることができる。

そしてきっと、一人でも、大げさな物言いだが自身にとって救いとなる人がいれば、ジョーカーにならなくて済む。

 

だが、だが、それ以上に今のこの社会は、世間は、ジョーカーを作り出す、生み出す社会だ。

 

古い価値観、こうであることが幸福だ、こうである人間が正常なのだと。そうやって社会は形成されいてるのだと。

そうじゃない人間は異常だ。危険だ。社会に属するべきではない。排斥すべきだと。

 

クソッたれだ。それで笑顔を強制する世の中など掃き溜め以下でしかない。

嗚呼!だからこそ憧れてしまう。自分では絶対に出来ない、理性が強烈にかけているブレーキを当然のように外して思うが侭に振舞うジョーカーに、価値観を全て放り出して踏みにじるジョーカーに。

 

勿論アーサーがジョーカーに至るまでのあまりにも痛ましい境遇と、自分が遠いところにいるからこそそう思えるのだろう。

だけでもどうにも胸の中で燻ってしまう。眩しく見えてしまう。

 

作中では貧富の差や、病による差別などが多く描かれていた。

主人公アーサーがジョーカーに成ってしまった原因としてもこれらが多分にかかわっている。

ただそれでも、事件を起こしたジョーカーは繰り返し言っていた。「政治的意図なんてない。」

 

そう、きっと映画を創った人たちも問題提起する気も、政治的意図なんてないんだと思う。

“彼”の半生を丁寧に描いた結果そうなったんだ。

 

そして“彼”の言うとおり人生は主観だ。結局は個人の問題なんだ。

それに気付いた彼は人間として再生できた。

 

それが他者にとって悪夢であろうと、彼個人は救われた。

 

まだ筆者は彼のように吹っ切れることができない。

ただどうか願わくば、彼のように(彼にとってそれが辛い過去を想起させることであったとしても)人目を憚らず声をあげて笑えるようになりたい。

 

だって、人生は喜劇なのだから。

 

書いてみて思ったけど、どうしても終盤の話ばかり書いてしまう。

それほどまでにカタルシスがすごい作品だった。

 

そこにいたるまでが本当に辛くて、辛くて。

ホアキン・フェニックスの演技と、観てる方にも何処までがアーサーの妄想かが解らない演出で(一部妄想と気付くとこもある。ただ、それ以外の全ても妄想だという考察がある。)心臓を捕まれるような圧迫感から開放された感覚が本当にすごい映画。

 

そして時代を映す意味合いもあったのだろうけど、アーサーがヘヴィスモーカーのチェーンスモーカーで。これには何かしら意味があるのかな~と思いましたね。全然考えが浮かばないけど。

あまりにも鮮烈で衝撃的で、ただただ呆然と観てしまったので、フラットな状態でまた観にいきたい。

 

最後に、著名人のコメントの中で一番個人的にぐっときたフリーライターの、マフィア梶田氏のコメントを貼って終わりたいと思います。

駄文長文乱文、読んでしまった方、お疲れ様でした。